グレの歌2019年12月30日

 どういうわけか今年は首都圏の三楽団がシェーンベルク『グレの歌』を取り上げるという椿事が出来した。何かの記念の年というわけでもないらしいし、本当に偶然だったのであろう。『グレの歌』を偏愛している編集生はいそいそと三回(都響と東響)通ったが、これだけの演奏を国内オーケストラで聴けるというのは素晴らしいことである。
 アッバードの指揮で『グレの歌』全曲を聴くことは遂に叶わなかったが、2013年のルツェルンで、藤村美穂子さんの独唱で「山鳩の歌」のみ聴くことができたのは、幸せなことであった。後半で演奏されたベートーヴェンの『エロイカ』ともども忘れがたい。あれが、編集生にとって最後のアッバード体験となった。あれからもう六年になる。

蒔いた種は実る2019年03月31日

 アッバードは現代音楽の初演をしばしば行っていたが、一方で、長いこと忘れ去られていたオペラの復活蘇演にも熱心であった。ロッシーニ『ランスへの旅』、シューベルト『フィエラブラス』。演奏が高く評価される一方で、珍しい作品を取り上げてもその後に劇場のレパートリーとして定着するとは限らない、と皮肉な見方をする向きもあった。それから三十年余り。『ランスへの旅』はヨーロッパの歌劇場のみならず、日本でもちゃんと上演されている(最近では2015年に藤原歌劇団がアルベルト・ゼッダ指揮で上演)。『フィエラブラス』は、2014年ザルツブルク音楽祭で上演され、同じ演出で2018年にスカラ座で再演された(指揮者と歌手は異なる)のが記憶に新しいが、それ以前にもヨーロッパ各地の劇場で取り上げられている。いずれも、歌劇場のレパートリーとして定着している。
 蒔いた種が実るには時間がかかるのである。十年そこそこで評価してはいけない。これはなにも芸術に限った話ではない。学問の分野でも同様である。短期的な成果のみを要求して、それに応えられないものを切り捨てていたら、貴重な芽を摘むことになりかねない。

モーツァルトは素敵だ2019年03月18日

 最後にアッバードの演奏会を聴いてから五年半以上になる。その間、聴いて良かったと思える演奏会はあったものの、朝まで眠れないほど興奮するようなことは絶えてなかった。
 ところが、先日、二晩続けて凄いものを聴かせてもらった。3月13日、14日のハーディング指揮マーラー・チェンバー管弦楽団。しかも、この二回の印象がまったく違う。
 3月13日はシューベルトとブルックナー。この感じ、アッバードが好きな人はきっと喜ぶだろう。ハーディングは独自に新しいことをやっている。にもかかわらず、聴いていると何となく思い出してしまうのである。ブルックナーは小編成だけに各パートのポリフォニックな絡み合いがはっきりする。透明感が増して、いろいろな方向から届く響きに包まれている感じ。ときどき、宗教音楽のような雰囲気になる。
 3月14日はモーツァルトの後期三大交響曲。独創的な解釈、面白すぎるモーツァルト。モーツァルトの明るい輝きも、暗い情念も、すべて併せのんだ世界。アーティキュレーション、フレージングをはじめ、意表を突く表現の連続。メヌエットってこんなに速いの?第三十九番からアタッカで第四十番に入ったのには驚いた。どこに何が仕掛けてあるかわからないので気が抜けない。これだけやっても、聴く方が完全に音楽に乗せられているので、わざとらしい感じはない。最後まで驚かされっぱなし。
 ああ、楽しかった。モーツァルトは素敵だ。

3. 11への祈り2019年03月15日

 3月13日、すみだトリフォニーホールでのダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー管弦楽団の演奏会。冒頭で演奏されたエルガー「ニムロッド」のあと、深い静寂が続いた。誰も身じろぎ一つしなかった。指揮者もオーケストラもそのまま静止している。誰もが、八年前のあの日を想い、それぞれの祈りを捧げていた。あたかもそのまま時が止まってしまったかのような、果てしない沈黙。
 誰に指示されたわけでもなく、音楽とともに自然に生まれた、美しい祈りの時間。音楽にしかできないことがある。
 ありがとう。

けしかける2019年01月14日

 Claudio Abbado資料館を開設してから既に18年以上が経過している。残念なのは、他の指揮者で同様の試みをしているウェブサイトが、少なくとも日本語では見つからないことである。もちろん、編集生が知らないだけかもしれないし、海外のファンクラブ等で同様の企画が進行しているため、敢えて必要ないのかもしれない。しかしながら、オーケストラの公式サイトなどでも、過去の公演記録をきちんとアーカイヴとして公開しているところが少ないことを考えると、同種の試みはやはり少ないのではなかろうか。
 そこで、ちょっとけしかけてみる。

 どなたか、指揮者の全公演記録を作っている方、作ろうとしている方、いらっしゃいませんか。Claudio Abbado資料館としても、同種の試みがあれば、微力ながら応援したいと思います。よろしければ当資料館までお知らせいただければ幸いです。
 アッバードとほぼ同世代の高名な指揮者は、有名オーケストラとの共演が多いので、八割がた集めることはそれほど難しくありません。それより若い世代でも、有名指揮者は情報量が多いので何とかなります。
 現在三十代、四十代の若い世代の指揮者は、神出鬼没ではありますが、活動が過去十数年間に集中するので調べることは可能です。既に二十年以上のキャリアを持つハーディングはかなりたいへんですが、それでもまだ間に合うでしょう。

 ちなみに、フルトヴェングラーは全公演記録が上梓されているようだ。

Abbado全公演から2019年01月03日

 128 – Das Magazin der Berliner Philharmonikerの2018年第4号に、アッバードの業績の特集があり、アッバードが共演したオーケストラ、演奏した作曲家について、統計が出ている。最新号はベルリン・フィルのウェブサイトから閲覧できる。既に他のところでも紹介されているようだが、面白いので書き写してみた。ちなみに、アッバードが生涯に指揮した演奏会は約3500回とのこと。

オーケストラとの共演回数
688 Berliner Philharmoniker
544 Orchestra & Filarmonica della Scala
529 Wiener Philharmoniker & Staatsoper
357 London Symphony Orchestra
191 The Chamber Orchestra of Europe
147 Chicago Symphony Orchestra
127 Orchestra Mozart
109 Gustav Mahler Jugendorchester
91 Mahler Chamber Orchestra
76 Lucerne Festival Orchestra
73 Israel Philharmonic Orchestra
64 Philadelphia Orchestra
63 European Community Youth Orchestra
40 New York Philharmonic

作曲家ごとの演奏回数
712 Beethoven
623 Mozart
449 Mahler
398 Brahms
309 Schubert
223 Verdi
197 J. S. Bach
174 Stravinsky
165 Prokofiev
123 Berg
115 Bruckner
107 Wagner
105 R. Strauss
104 Schumann
83 Debussy
83 Bartok
80 Mendelssohn

新世代の指揮者2019年01月01日

 Claudio Abbadoが他界してから早くも五年になろうとしている。当初は、大きな存在を失ってしまった虚しさゆえに、音楽会にも行けなくなってしまった。とはいえ、いつまでも引き籠もっているわけにはいかない。前に進まなければ何も生まれない。かくて、その後も細々と演奏会に通い続けている。
 五年間で世界は随分変わった。音楽の世界でも世代交替が進んでいる。かつてアッバードの演奏を聴くのを楽しみにしていた方々は、今は誰の演奏会に通っているのであろうか。調査することができたら興味深い結果が得られるかも知れない。好みはかなり分散することと思われるが、若い世代では、アッバードと関係の深かったグスターボ・ドゥダメルやアンドリス・ネルソンスの名は挙がりそうである。
 ちなみに編集生自身は、新世代の指揮者で好きなのはダニエル・ハーディングである。アッバードがいなくなって一年半後に、ハーディングの指揮でマーラーの第二番を聴いた。時に、アッバードの「ルツェルンの復活」が反響しているような気がしたのは、気のせいであったろうか。

Claudio Abbado資料館編集室2019年01月01日

 Claudio Abbado資料館(http://www.ne.jp/asahi/claudio/abbado/)編集生です。
 Claudio Abbadoの音楽・芸術活動に関する情報を集積することを目的に開設しました資料館は、引き続き公開しておりますが、ウェブサイト作成に使用していたアプリケーションが最新の機器では稼働しないという技術的な理由により、新規の更新が難しくなっております。
 資料館は何らかの形で存続させたいと思っておりますが、とりあえず、編集室の機能のみを当ブログに移管いたしました。まだ試験的な運用ではありますが、よろしくお願い申し上げます。